がちゃぴんこです。
社会人になってから気づいたら10年が過ぎてました。
途中転職したりもしました。

 

新人時代、まだ別の会社にいたときのことですが、私にとってはそれなりにつらい1年目でした。
日報、週報を課せられて、毎日作業内容と所感を書くのですが、何を書いても先輩からは全否定。
しまいにはその先輩に似た後姿を見かけただけで吐き気を覚えるようになりました。

 

会社外の諸先輩方からはとにかく2年だ、2年我慢しろ、と言われ続け、2年、3年、4年と我慢しました。
当たり前ですが、楽にはなることはありませんでした。むしろ大変になりました。
責任も増えるので当たり前ですが。そうしてもう楽になることはないと理解しました。

 

理解しときながら、その後転職しちゃうわけですけど。

 

1年目、なにを書いても全否定してくる先輩を前に、どうしたら否定されないのか、押してダメなら引いてみろ、
と色々試しました。
でも、撃沈されました。その試行錯誤をしている中で、私の中に厳しい他者が作り上げられたんだ、と思います。
その他者はいまでも自分を監視してダメ出しし、少しはマシな仕事をさせているのではないか。

それが当時の効能ではないか。

 

苦節12年にして、ようやく結実したようですよ、先輩。
(本人に言ってやれ)

 

それとは少し逸れてしまいますが。

 

その全否定の中に、プライドなんか捨てろと言われたことがありました。
当時の自分はプライドはアイデンティティと密接に関連するものだから、それは死ねと言われたのと同じだな、
なんて思ったものです。本当、めんどくさい後輩(笑)。

 

プライドがあるから、仕事がきつくても最後までやり遂げられる。そういう面での肯定的意味は絶対的にある。
ただ、何も生み出さず、外界からの吸収を妨げる引きこもり型のプライドもある。
つまり当時の自分が思っていた「プライド」と先輩がいう「プライド」は対象物が異なっていたってわけだ。

 

若い人を見ていて、当時のプライドが「違う違う♪ そうじゃ、そうじゃなーい♪」とやっとわかりました。

 

と、同時に、一条ゆかりの「プライド」を思い出しました。
一巻に印象的なシーンがあります。うろおぼえですが・・
父親が急な事故で亡くなり、ひとりでどうしたらよいかわからなくなる主人公が、
自分のプライドはパパに守られていたんだ、と気づくシーンです。

 

あー私も同じなんだなあ。

親とか学校教育とかに守られたプライドだったんだなー。

 

当時の自分はそこまで分析していなかったんですが、全否定の日々の中、断捨離しました。
今のままでは立ち行かない、過去を捨てねば、という思いからでした。
捨てたのは主に本でしたが、自分が認められた証はすべて捨てました。
レポートとか成績とか賞状とか、そういう成果すべて。

 

それで自分になにもなくなりました。風通しがよくなったと思いました。
この空いたスペースに新しい知識を入れられると思いました。

 

でもこれ、いま思うとデメリットも感じますね。
おまえに価値はないと自分に突きつけて、執着心をなくす行為でもある。
全否定されたからってそこまでするなよ、って気もします。
やっぱり20歳前に比べると、とても空虚になったと思います。
そう思うと、思い出を大切にするって大事だよね(一周まわった)。

 

結論とかないけど、自分は死ぬまでぐちゃぐちゃ悩み続けるんだろうなー。
悩みから解放される日なんて来ないんだろうなー。

 

がちゃぴんこ